noellabo's tech blog

@noellaboの技術ブログ

知見を共有する場が欲しかった

この投稿は、ブログについて語るアドベントカレンダー Advent Calendar 2020の3日目の記事です。


ブログを書く理由・書き始めたきっかけなどを語る場であるということなので、思いついたことをつらつらと書いてみようと思う。 いわゆるエッセイで、駄文の類であって、特に新しい、有用な知見などは含まれていないのであしからず。

実はこれまでブログを長く続けられたことはないのだけど。

いろいろやってきて、一周回った今、ブログ良いな、となっている。

2017年4月、mstdn.jpを起点に一気にMastodonが広まってから、よくわからないなりに試行錯誤して取り組み、いくつかのサーバの運営や、フォークや本家の開発に関わるようになった。そのこと自体についての説明は、ここでは割愛する。

得られた知見は日々Mastodonで放流しているが、フォロワーに配送されているとはいえ、漏らさず読もうとしてくれている一部の人にしか届かず、大部分は流れていってしまう。見た人も忘れる。書いた当人もElasticsearchなどを駆使して検索したりしているが、なかなかあとから活用することができていない。やはり、知見だけをまとめたメディアが欲しいのである。そこでブログである。

書くのは面倒くさいのだが、一度書いておくと、驚くほど自分でも参照する頻度が高い。もはや脳の外部記憶装置である。これまでは忘れてしまって何度も調べ直していたことが、即座に理解していた状態まで巻き戻せるようになっている。究極的には、この目的が非常に大きい。

また、記事の出来の問題はあるが、こうしてまとめたものは、同じくMastodonで悩んでいたり、情報を得たいと思っている人にとって、参照しやすく、消化吸収しやすい。私にお伺いをたてたりせずに、自分のペースで読むことができる。これは非常に重要なことで、人にモノを訊ねるのが性に合わない人であっても、記事になっていれば読むことができるのである。誰かに付き従う(フォローする)のではなく、記事としてリリースされた、書き手の手から距離を置かれた情報であれば、共有財産になり得る。

知見を共有したいというのは、自分にとっては自然なことであって、何故なのか説明しようとするのは少々骨が折れる。まず、子どもの頃からの性分であることは間違いない。知ることも、伝えることも好きなのだ。加えるなら、伝わるように説明するのが好きである。今はMastodonなどFediverseが社会にもたらす効果に関心があって、その普及と定着を助けることができるなど、目的があるといえばある。でも、実のところこれはオマケだ。そうでない記事も喜んで書いている。自分も誰かが書いた記事によって数え切れないほど助けられてきたから、同じように誰かを助けたい、ということはあるかもしれない。恩を受けたら、それをもらった以上に誰かに与えたいという思いは強い。

ともかく、書いておきさえすれば、それはこういうことだよ、とポイントを指し示す(URLを貼る)だけで問題に回答できてしまう。これはもの凄いパワーがある。前提知識を共有して、相手の理解できていることと出来ていないことを確認し、本当に解決すべき問題に着手できるようになる。逆に、私自身の理解度を相手に伝えることもできる。誤って理解していることを指摘してもらうこと、気がついていないことを補ってもらうことができる。繰り返しになるが、これはもの凄いパワーがある。実のある会話が成立するようになる。

これまでは、あまり書きたいと思う内容が思いつかなかったし、文章を書くことになれておらず、もの凄くエネルギーを必要とした。いまもうまく書くことはできないが、Mastodonを通じてかなり訓練された。

Mastodonでの投稿は、ほどほどの長さで書くのに良い訓練になっているというのはある。最大500文字は十分に長いが、気を抜くとすぐに文字数が足りなくなる。そうすると、伝えたい事柄を薄めずに、短く書き直すことになる。これは本当にためになる。しかし、一番鍛えられたのは、完璧を目指さなくなったことだろうと思う。こんなことを書いても意味がないのではないか、こんなヘタな文章は嫌だ、もっと完璧を目指したい、と思いがちであったが、意識的に無意味な情報を投稿し、多くの言葉を綴り、あるいは素早くアクションすることを心がけることで、コツがつかめてきた。ここもMastodonさまさまである。

ブログはWebLogとして、時事や主張を扱う使い方にも優れていると思うが、まだ実現できていない。これは、ミニブログであるMastodonで駄文を書き連ねて、もっと修業を積みたいと思う。

まぁ、そんなところかな。